一年の計は元旦にあり。実はこのことわざの意味を誤解しており、『元旦の行いがその一年の象徴になりますよ』というものだと思っていた。本来の意味は『一年の計画は元日に立てるとよい』というだけのものだった。
2026年1月1日である。2000年問題から四半世紀が経ったことはXでも投稿した。
パソコンが止まる、世界が終わる。そんな触れ込みでメディアも通信好きも大騒ぎしていたあの頃から四半世紀も生きたのだ。1世紀とか半世紀とか、まず使うことのなさそうな縁のない言葉だと感じる中で、四半世紀という言葉は重い。
2025年は厄年。実はこの言葉の意味も勘違いしていた。41歳になった瞬間からの1年が厄年だと思っていたら、数え年で42歳になる年こそが厄年なのだ。ということは、数えで42歳になる”2025年すべて”が厄年だったわけで、誕生日が11月22日だった自分は、厄年に気づいた瞬間にすでにそれを”9割クリアしていた強者”なのだ。
ただ一概に強者と言ってよいものか。これも意見が分かれるところだと思う。なぜなら自分は1年で選挙に2回立候補し、2回落選しているからだ。一般の方にしてみれば『選挙に出て、落ちる』こと自体がとんでもない屈辱であり、それを想像しただけで「私には政治家なんて、とてもとても・・」と苦笑いを浮かべるほどのことなのだ。
しかも自治体議員選挙ではない、国政選挙と市長選挙である。多くの人々が動向を見守る、すなわち落ちた時の注目も何百倍もあるものなのだ。
その点において『厄年だから2回も落ちた』という風に自分を納得させることもできるかもしれないし『厄年なのに2度も挑戦した』と胸を張ることもできるかもしれない。
今日はこれから2026年の計画を立てる。どちらかというと妻の方が乗り気だ。不確定要素も多いのだが、政治活動に関しては前年以上に筋の通ったものにする。更には世界レベルで見ても希少な価値観や表現を政治に持ち込めないかと試行錯誤していく。これについては後日書いていきたい。
先日発表した通り、政治団体(資金管理団体)の名称を『ギター』とした。この辺りも新たな表現に関係してくるだろう。しかし包み隠さず話すと、実は政治団体の名称変更を完了してから一度もギターに触れていない。ギターという政治団体を主宰しているからギターを弾けばいい、などという安易な話ではということだ。
どんどん脱線していくが、個人的な話では11月の誕生日プレゼントに溶接機を購入した。紙や木を切ったりは誰でもできるのだが、金属と金属をつなげるのは1つ上の段階に感じたので挑戦してみることにした。
先代が屑鉄屋だったということもあり、道端に尖った金属などが落ちていたら安全のために拾うようにしてきた。この金属片は車庫の中の缶に貯めている。どこかで時間を作って、この金属でオブジェづくりに挑戦してみようと思う。
北海道にも、日本にも、というか世界中に、価値が見出されず手つかずのまま、埃をかぶっているようなものや人が多いと考えて過ごしてきた。政策提言においても、ひとりの人間としての生活においても、筋の通った思想のもとにそれらを遂行するという気持ちは年を跨いでも一切変わらないのだ。
注・この文章を丸ごとAIにぶち込み推敲させようという下心がなかったわけではない。ただ、下手な手癖に人間性がある、それこそがヘタウマの神髄ということで、今回もこれからも書きなぐっただけのものを不定期で投稿しようと思う。ちなみにサムネイルで表示されるゴリラちゃんは妻が子供の頃から持っていたもの。サイズは一回り大きかったが自分も全く同じものを持っていた。彼女のスーツケースの中からコイツが現れたときは驚いた。
